最近、後輩が他のサークルに所属する友人から、「皇国史観研究会って大学から優遇されてるんでしょ?」と言われたらしい。しかも、この友人だけではなく、他の友人からも同じような事を言われたという。 なぜかというと、国士舘大学がいわゆる愛国的な大学であるから、愛国的なサークルである皇国史観研究会は大学から優遇されていると思われているらしいのだ。本当に優遇されていて、そう思われているなら致し方ないが、そうではないのに優遇されていると思われたのでは、どうもスッキリしない。 僕が実際に体験したり、先輩たちから直接聞いた話から結論すると、優遇など一切されていないのが実情である。優遇されないのは別にいいけど、むしろ逆に冷遇されているぐらいである。代表的な出来事をちょっとだけ書こう。 八月一日の本連載でも書いたように、僕が入学する前年の平成十五年に国士舘大学鶴川校舎の30号館で、北朝鮮による拉致被害者救出を考えるシンポジウムを開催した。これに学内のゼミやサークルなどが、後援や協賛のかたちをとって、準備に奔走した。 皇国史観研究会も会場設営、警備、案内に、ブルーリボンの作製と大忙しだったという。ところが、このシンポジウム協賛団体に皇国史観研究会と応援団が名前を連ねているのは不穏当でケシカランから外せと言って来た御人がいたそうな。誰かと思えば、当時の学長だったらしいからビックリ仰天である。 名前が気に食わないから、働いていても消せというのは、あまりにも人を侮辱した話である。それを学長の地位にある人間が平然とやってきた事を先輩たちから聞かされて、僕は驚くと同時に、国士舘大学に事なかれ主義と横暴が罷り通っている事に、とてつもなく悲しくなった。 それ以外にも、新入生勧誘ポスターを貼り出すと、ご丁寧に誰かが剥がして回ってくれるのだ。噂では職員か教授だというのだから呆れてしまう。そんな話を聞かされて、入学当初の僕は何とも暗澹たる気分になった。 さて、そして僕が一年生だった時の平成16年12月1日。サッカー部員らが女子高生に集団わいせつ事件を起こして、大騒ぎになる。サッカー部の寮がある鶴川校舎には連日マスコミが押し掛けて、学内に重苦しい空気が流れた。 そんな中で、事件から一週間たった12月7日に、大学近辺の住民に大学への不信を抱かせてしまった事を憂いて、学内の有志サークルが集って、近隣住民の不信感を和らげ、国士舘大学への理解を回復しようと、「防犯清掃パトロール」を行うとの話がでた。 この時、皇国史観研究会は真っ先にこの企画に加わって、実施に向けた会議に僕が出席してきた。僕の手元に当時の趣意書が残っており、それによると学内の武道系サークルやスポーツ系サークルなど、11団体が大同団結した素晴らしい企画だった。 サッカー部のような事件を起こす連中がいるかと思えば、誰から言われた訳でもないのに、自らの母校にしっかりと誇りを持ち、名誉挽回のために必死に働こうとする学生たちがいることに、僕は何とも言えぬ感動を覚えた。 ところが、この防犯パトロールは詳細なスケジュールと実施要項が決められながらも、実施されなかった。それは当時の学生部長や、老教授だか理事だかが、「いまの時期にこんな事をすれば世間から穿った見方をされるからヤメろ」とやったらしい。馬鹿げた話である。 これだけ母校を愛し、誇りにする学生がいる事こそが、何にもまして代え難い大学の財産ではないのか。そうした学生達の純粋な想いを無下につみとるのが教育者のすることか。当時、この企画を考えて実施に向けて頑張っておられた先輩方の悔しさを見て、何とも言葉がなかった。結局、この事件で大学がとった態度とは、事件のほとぼりが覚めるのを待っていただけに思えて仕方がない。 そして忘れてはいけないのが、この事件に触発されて、僕たちが壁新聞『敷島だより』を創刊した事だ。この時の経緯は本ブログの記事、「『敷島だより』顛末記」に書いてある。この新聞は翌年の七月に廃刊になってしまう。 その理由は、浅沼事件の山口二矢烈士を取り扱った記事を書いた事と、「韓国の狂科書」と記載した事だ。これに某学部の極左スターリニスト教授が怒り、学生部に怒鳴り込んで、廃刊処分に追い込んでくれたわけである。アカデミズムの場である大学に籍をおきながら、言論弾圧をするとは左翼らしいが、そんな姑息な左翼が国士舘にいる事が残念でならない。 ちなみに、この時の壁新聞の現物は、『敷島だより』詰め合わせとして販売しているので、興味のある方は買っていただければ幸いである。 さらに、この平成17年に、もう一つ忘れられない事件があった。国士舘大学世田谷校舎では秋に楓門祭が行われる。その時、皇国史観研究会は戦後60周年ということもあり、「大東亜戦争の真実」と題して展示をおこなった。 その時、学園祭のパンフレットに掲載した僕たちの企画紹介文に「待った」が掛かった。相手は学生部だった。何人かが学生部に出向いて理由を聞いた。すると、「中国や韓国の留学生を刺激するからヤメてほしい」という。もはや呆然としてしまった。 それが国士舘大学の言う事か。いや、それ以上に大学という機関に関わる者の言う事か。もちろん、「思想、表現の自由は憲法に定められている」と左翼ばりに反論した。ところが何を言っても「留学生が」の一点張りで、あげくに「学園祭での展示を出来なくする」と言って来た。この瞬間、国士舘はもう死んでいるのではないかとすら思ってしまった。 そんなこんなで、泣く泣く文章の訂正に応じて、学園祭にこぎつけた。しかし、このボツにされた企画紹介文は、パンフレットには掲載せずに、ビラに印刷して学内に貼り出すことが出来たから良かったとするか。 ちなみに文面は以下の通りである。 「『太平洋戦争は日本がアジア諸国に侵略して、散々ヒドい事をした挙句に負けた悪い戦争』という歴史観に、戦後六十年の今年、我々、皇国史観研究会が、全力でツッコミを入れ、大東亜戦争の真実と歴史的意義を明らかにします。乞う御期待!」 この文面のどこに問題があるのかは、読む人次第だろうが、少なくともこれぐらいの表現も認めないと言うのは大学として不健全ではないか。しかも、全学生の中で一割程度しかいない留学生に気兼ねしてというのだから情けなさ過ぎる。じゃあ残り九割の日本人学生の立場はどうなるのか。 と、散々に母校のバクロっぽい話を書いてしまったが、これも全て母校国士舘大学を心から愛するが故のことである。ご容赦いただきたい。かつて高杉晋作は「国を滅ぼすは外患にあらず、内憂にあり」と喝破されたが、僕は大学を滅ぼすのは少子化にあらず、事なかれ主義と魂なき営利至上主義にあり、と言いたい。 写真は平成17年に皇国史観研究会をはじめ、国士舘の有志学生らで8月15日の靖国神社に参拝した時に撮ったものである。ここに写っている国防色の旗が皇国史観研究会の会旗である。 タカユキ
by shikisima594
| 2007-08-11 22:45
| 随想・雑記
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