第六章はタイトルが「『反米左翼』西部、小林の尻尾」となっている。この二人には「反米=反日=左翼」という自分達にだけ通用する方程式があるようだが、西部、小林氏とMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisaのいづれが本当の左翼で、どちらが保守かということを、第六章を二回に分けて、彼らのいびつな親米主義を紹介し、検証してみる。
田久保「日米問題を語るとき、最も根底において考えなければいけないのは、あの大東亜戦争に負けたという事実です。これは仮借のないほど恐ろしいことだったと思います。 政治、経済、軍事、教育、宗教などのすべてが、破壊されました。敗けた以上はある程度仕方がないのですが、それにしても徹底したものだったなと思わざるを得ません。 特に憲法と教育基本法、これを押し付けられて、戦後六十年近くたってもまだ、自分の力で立ち上がれないのはわれわれにも大きな欠点があるのです。」(151頁) Mr.Tadae Takuboは昭和八年の生まれだ。多感な十二歳の時に祖国は焼け野原となり、彼の受けた衝撃は、僕には想像もつかないが、そのショックからアメリカに抗する牙が抜け落ち、ついには「われわれにも大きな欠点がある」という自虐史観に陥った経緯が伺い知れる。 ヤクザが素人を脅すときは、最初に一喝して恐がらせた後に、「あんたにも非があるでしょ?」と諭すように言うそうだ。そうすると、脅された方は「そうか、私が悪いのか」と思い込んで、ヤクザの言いなりになってしまうというが、Mr.Tadae Takuboは正にそうした心理術に引っ掛かっているようだ。 こうした心理的な問題は他にもある。例えば高校時代に、とても優しくて真面目で通している子が、テストでカンニングをしているのが発覚したら、その子はとても悪い奴のように思われる。逆に、髪の毛を染めて授業にもロクに出席せず、先生にも反抗するような子が花瓶の花に水をあげていたら、とても良い人に思えてしまう。そうした心理にもMr.Tadae Takuboは引っ掛かっている。 田久保「率直に言って米国に敬意を表さなければならないと思ったのは、東京裁判で、ローガンとか、ブレークニーとか日本人の弁護を務めた弁護士たちですね。実に立派だった。これは僕が言っているんじゃなくて、東京裁判の弁護団長、清瀬一郎さんが、『東京裁判』という名著にも強調されているのです。」(152〜153頁) 清瀬氏の本の正式な名前は『秘録・東京裁判』(読売新聞社)で、僕も読んだことがある。確かに清瀬氏はブレークニー氏ら、アメリカ人弁護士を称えている。しかし、その東京裁判をやったのは誰だ?空襲・原爆投下で無辜の日本人同胞を大量殺戮したのはどこのどいつだ? Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriは「反米派は木を見て森を見ない」などと言っているが、親米派こそアメリカの都合の良い側面しか見られないようになっているではないか。我々は決して忘れてはいけない、「日本の民間家屋は全て軍事工場だ」などと、とんでもない理屈を付けて日本全土を焼け野原にし、東洋のホロコーストを実行したアメリカの蛮行を。 子供というのは不思議なもので、他人には分からない親の長所を見つけるのが得意だ。しかし、逆に誰の目にも明らかな親の欠点に気付かないという。Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriはアメリカの子供だ。それは次の台詞からより一層明確になる。 田久保「日本の徹底抗戦の雰囲気の中で、原爆が落ちなかったならば、ライシャワーが言っているように、 『原爆がなければ日本の軍部が徹底抗戦を続けて、米軍は数十万の死傷者を出したであろうし、日本側も戦死者以外に数百万の非戦闘員が餓死し、日本という国は事実上破壊されていたところであろう』 この認識には僕も同感できるところがある。」(157〜158頁) この言葉は『反米論を撃つ』の中で僕の五本指に入る位、腹が立った台詞だ。歴史に対する無知と、原爆投下に対するこの感覚。まず、ライシャワーは嘘をついている。アメリカの本土上陸作戦はオリンピック作戦とコロナ作戦というものがあったが、この作戦による死傷者数は五万人前後と予想されていた。 「数十万」という数字は、原爆投下に対する国際的批判が高まるのを押さえるために捏造された数字である。中共の「南京大虐殺」や「三光作戦」と同じような事をアメリカはやったのだ。 そのデマゴギーに引っ掛かってMr.Tadae Takuboは原爆投下を正当化しているが、Mr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriが批判する左翼ですら、原爆投下を徹底的に批判している。まぁ両氏がアメリカ人だと思えば腹も立たないが、このような歴史認識の持ち主が西部、小林両氏を「反日の左翼」と批判するなど笑止千万だ。 田久保「戦前にも占領時代も不愉快なことはあったけれど、日本が独立を獲得した以上は日米関係というのは、戦前の延長上で考えるのは、おかしいのではないかなと思います。その戦前の歴史に対する批判は批判だが、それを今日に引っ張ってくるのであれば、西部さんたちは、日本はアメリカと一戦交えると、そう言ってくれないと困る。」(160頁) Mr.Tadae Takuboは歴史認識が誤っているどころか、歴史の連続性という感覚が欠落しているのが分かる。独立しようがしまいが、相手との関係を語る上で、その相手との関係史が登場しない方が、むしろオカシイ。 そして、その歴史的感覚からアメリカと一線を引こうとする者は、アメリカと一戦交えると言え、であるとか、安保破棄を主張せよ、という極論を持ち出して来る。こうしたMr.Tadae Takuboの言説は随所にある。これはMr.Tadae Takuboだけではなく、Mr.Yoshihisa Komoriも負けずと価値相対主義、二元論を用いて「反米派」を批判してみせる。 古森「アメリカのアメリカたるゆえんまでを悪口雑言で否定することは絶縁の主張と同じですーーとなると、日本はこの民主主義、自由主義、市場経済の国際体制とも縁を切ることになります。」(161頁) いつから自由主義や民主主義がアメリカ固有の専売特許になったのだろうか。Mr.Yoshihisa Komoriは自ら次のように言っている。「自由とか、民主主義というのは、あくまでも普遍的な概念あるいは制度」(194頁) だとするなら、アメリカを批判すれば日本は一気に北朝鮮みたいになるという発想はどこから出て来るのだろうか。それともMr.Yoshihisa Komoriはアメリカ固有の価値観のみが世界的普遍性を有しているとでも言うのか。Mr.Yoshihisa Komoriは反米主義者ではなく汎米主義者だ。 その後、Mr.Tadae Takuboが、「僕は、アメリカに対する批判がないというわけじゃなくて、実はあるんですよ。」(162頁)と断った上で、アメリカの戦後対日政策を日本弱体化を図る「ウィーク・ジャパン派」と、強い日本との同盟を望む「ストロング・ジャパン派」に分類し、前者を批判するのはよいが、後者のブッシュ政権を批判するのは日本の国益を害すると主張する。 同盟関係の相手がおかしければ批判するのは当然の事だ。Mr.Tadae Takuboは国益の前に言論は沈黙すべしとでも言いたいのだろうか。それでは、両氏が絶賛してやまない民主主義に反するのではないか。また、Mr.Tadae Takuboのこうした話しを受けて、Mr.Yoshihisa Komoriは西部、小林両氏を次のように批判した。 古森「西部氏たちの反米喧伝は、無知からか、故意か、この種のアメリカの多様、多層の実態をまったく排して、もっぱら『アメリカはこうだ』という一辺倒です。その一方で日本の『自立』だとか『独立』だとか叫ぶけど、日本はもうとっくに自立しているし、独立していますよ。防衛面でアメリカの軍事力に頼るのは、その軍事力の利用が日本に役立つという自立、独立の判断の結果ですよ。 それを特攻隊がよかった、というようなところまでさかのぼって、若者を煽ってみても、いまの日本のあり方には何の関係もない叫び、空疎なデマゴギーなのです。」(177〜178頁) 「日本の防衛はアメリカ無しでは考えられない」だの「日本はアメリカのストロング・ジャパン派の意向に沿って防衛体制を確立しなければならない」などと散々言っておきながら、「日本はもうとっくに自立している」ときたもんだ。自分の都合に合わせて、日本を自立させたり半人前国家にしたりする者も珍しい。独立国家ならばアメリカの年次改革要望書や日米地位協定に対する批判が無いのは何故だ。 西部、小林両氏が、よく特攻隊の話しをする事をとらえて、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の言葉かもしれないが、後半の特攻隊に対する言葉は見逃し難い。「あとに続くを信ず」の言葉を遺して死地に赴いて行かれた先人達の思いは、今の日本には何の関係も無い、と言い切るとは驚いた。 これまでもMr.Tadae Takubo & Mr.Yoshihisa Komoriが日本に対して歪んだ歴史認識を有している事は紹介してきたが、そもそも彼らの脳内からは民族の歴史自体が、すっぽりと抜け落ちているのではないか。保守派を自称するならば、先人達の遺志を継承し、そこに込められた民族の歴史観と伝統を保守しなければならないのに、このような歴史を有しない者が一体何を“保守”するというのかというと、彼らの口からは御題目のように「国益、国益」という言葉が出るだけだ。 歴史観・伝統を持たない者が“保守”しようとする「国益」とは何か、それは「国益」に名を借りた己の保身だ。彼らは単なる保身主義者だ。己の保身のためアメリカに媚びへつらい、ついには特攻隊を切り捨ててみせる。その心情たるや、まことに悲しむべし。(つづく)
by shikisima594
| 2006-02-14 14:21
| 読書録
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