皇国史観研究会誕生!
昭和四十年、のちに「最も長い民事訴訟」としてギネスブックに刻まれる事になった、家永三郎氏による教科書裁判が起き、歴史認識をめぐる議論が広く行われることとなった。

この家永教科書は、家永三郎氏本人が一人で執筆したもので、至るところに欠陥(笑い所)があった。これについては、日垣隆の『偽善系 やつらはヘンだ』(文藝春秋)に詳しいが、その内容は家永氏お得意の近現代におよぶと、家永氏の本領発揮とばかりに、当時の日本をこれでもかとばかりに扱き下ろす内容だった。

その余りにも自虐的で誤りの多い内容には、さすがの文部省(当時)も検定意見を付けた。すると家永氏は、教科書検定制度は憲法違反であると訴えた。(のちに最高裁にて実質的敗訴)

こうした一連の自虐的な歴史観の風潮に危機感を抱いた国士舘有志学生は、教職員と協力し、正統な歴史観を確立すべく、昭和五十八年に皇国史観研究会を結成するに至った。

当時の国士舘大学には、国心会、国防部、国友会、昭和維新会、日本民族研究会などの民族派系サークルが群雄割拠していた。

以来二十三年、様々な紆余曲折や盛衰と時代の激変を受けながらも現代に至り、国士舘に限らず、日本の事を考える学生たちに広く門を開けている。
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by shikisima594 | 2006-02-17 00:44 | 組織概要
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