2006年 04月 13日 ( 1 )
思想と宗教、その似て非なるもの
 毎年、新入生が入学する季節になると、宗教団体による勧誘が各大学で問題になる。一時期は統一協会やオウム真理教が問題になったが、それ以外の教団も数多く大学構内を跳梁跋扈している。

 先日も新入生勧誘報告に記したように、我々皇国史観研究会の会員が、とあるカルトとされる宗教団体から大学構内で勧誘を受けるという出来事があった。さも皇国史観に興味ありという風に近づいてきたが、しゃべり方、目つき、言葉遣いから、正体には既に気づいていた。

 その時、僕は「あんたらがやっているのは宗教であり、信仰だ。僕らがやっているのは、思想だ。その違いはわかっているのか?」と問うと、「いや、それは分かりませんが、とにかく実践なんですよ!一緒にやってみましょう!」などと言うてくる。もはや完全に狂信・盲信に憑かれている。

 聞けば盛んに「日本が滅びる!」と言うていたが、蒙古やアメリカも滅ぼせなかった神州大日本がそう簡単に滅んでたまるものか。だいたい、こんなものは起きそうにもない事か、起きる確率の低いことを予言しておいて、そうならないために修行や祈祷を信者たちに行わさせる。もちろん、がっぽり金を取って。

 そうした事が起きなければ「我々の祈りが通じた!」などと喜び、もし起きれば「予言があたった!」と喜ぶのだ。いい年してこんな子供だましに人生捧げるバカが後を絶たないのは、日本の教育の重大な欠陥だ。

 思想も宗教も似たところがあり、明確な線引きは定義できない。しかし、思想とは最低限、自分の頭で考えるものだ。だから思想は転向がある。かくいう僕も熱烈な日本共産党支持から転向して今の場所にいる。そして思想は考えること、思うことが強烈になれば、「信じること」すなわち信仰に転化し、宗教に限りなく近づく。

 しかし、宗教での信仰とは、ある種、考えることを放棄することだ。ひたすら信仰し、信じ続けること。そしてその目的は人類救済、世界平和に名を借りながらも、実態は自己教団の発展と拡張のみを目的として、排他性・独善性に満ちた矮小で浅薄なセクト(党)であり、信者はことごとく教祖の奴隷である。

 そうした意味で言えば、本来、政治思想団体であるはずの新左翼諸セクトなどはカルト教団に極めて酷似しているといえるのではないか。書記長や議長を教祖のように崇拝し、マルクス、レーニンを神のように崇める。唯物史観や科学を標榜しながらも、逆に宗教に接近しすぎている。

 皇国史観研究会はこの点に大変な注意を払ってきた。常に思想する努力を怠らない事、セクト化しないように肝に銘じてきた。それはなぜか、一番大きな理由は、我々日本人は日本のためという事を目的とするべきである。

 しかし、宗教や党を構成すれば、その集団が目的になり、日本のためという大義を見失ってしまう。今の日本にそんな党派抗争している暇は無い。そしてもう一つ、吉田松陰先生をして、「身、皇国に生まれ皇国の皇国たる所以を知らず、何を以てか天地に立たん」と喝破された。

 受け難き生命を日本に生まれたのだ。その日本が日本である理由を知らず、日本の神々からたまわってきた恩を忘れて異神異仏を信仰する。その行為自体がもの凄い背信行為じゃないですか?とね。そんな背信行為をしながら平和だの神だの言うても片腹痛いっつーの。

 信者たちよ、本当の自分のなすべき事と、自分が何者であるかを今一度思想せよ!
 各教団教祖たちよ、私利私欲を放擲して党を解け!まずは自分を利己主義の束縛から解き放ち、信者たちを日本人として解放せよ!
 そして全日本人、日本の神々に帰一せよ!

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by shikisima594 | 2006-04-13 14:56 | 随想・雑記