2006年 04月 23日 ( 1 )
特高警察の守ろうとしたもの 第一回 特高への現代的評価
 人権擁護法案、共謀罪などが話題に上る時代となった。そうすると、戦前に存在した治安維持法、特高警察の存在と絡めて論じられる向きがある。同世代の保守主義を標榜する学生などと話していると、「特高や治安維持法が今一度必要だ」と論じる者が少なくないが果たしそうか。

 戦前戦中を通して、特別高等警察は治安維持法等の法律により、思想運動などへの取締り活動を行った事で知られている。戦後、特高警察に対しては毀誉褒貶を含めた様々な論評が為されて来たが、その中でも主立った批判を行ってきたものとして、日本共産党が挙げられる。日本共産党は結成以来、特高警察による取締りに遭って来た。
 党の出版物では、特高による取り締まりについて、次のように記している。

「日本共産党は創立の当初から、絶対主義的天皇制反対、侵略戦争反対を主張していた。そして暗黒政治に反対して国民の自由と民主主義を守るために、その先頭に立ってたたかってきた。それゆえに、党は天皇制政府の憎悪の的になり、なによりもまず過酷に弾圧された。」
  (「赤旗」社会部編『証言特高警察』56頁)

「特高警察は侵略戦争の拡大と呼応し、“自由主義思想も共産主義の「温床」になる
“天皇中心”の「国体」とあいいれない「邪宗」を取り締まる”などの口実で共産党と無関係な団体や個人、宗教団体なども弾圧し、国民の疑問や反戦・厭戦(えんせん)感情などを封じて、戦争体制の一翼を担いました。」
  (機関紙『しんぶん赤旗』平成15年2月20日付け)

 つまり、特高警察とは、国体、天皇制政府を守るために活動し、自分達を一方的に弾圧して来たというのが、日本共産党などをはじめとする、取り締まられた共産主義者達の言い分である。
 しかし、当時の日本共産党はコミンテルンの日本支部として、『共産党宣言』に「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する。」(マルクス・エンゲルス『新訳・共産党宣言』72頁)とあるように、一時期などは全員が軍用拳銃や匕首で武装し、逮捕に来た特高刑事達と銃撃戦を繰り広げ、双方に死傷者が出る事も度々であったから、このように恰も一方的に弾圧されたかのように主張するのは事実の歪曲である。

 ただ、「天皇制打倒」を主張してきた彼らに取って、特高警察の活動が国体を守るために活動しているように見えたのは、否定しようのない事実である。
 しかし、それが全てであったのだろうか。つまり、国体を守る事が特高の本質であったのか。そこで、次に彼らを取り締まった当の特高警察自体は、当時の活動をどのように捉えているのかを見てみたい。

 大東亜戦争開戦直前の昭和16年5月に刊行され、数人の元警視総監が序文を書き、特高警察官に精神修養的参考書として読まれた本には、次のように書かれている。

「併し不穏思想と認定さるべきものは何と言つても国体観念に背反する思想なるが故に、之が現はれた限り直ちに抹殺しなければならない。とは言へ出来得べくば不穏思想の現はれる以前、既に其の徴候見えしときに之れを防ぐ事が肝要である。最早実践運動として発展し来たりし限りに於いては、論なく之れを弾圧して根絶することの正当なるは火を見るよりも明かである。」
  (村瀬武比古『特高警察大義』120頁)

 そして、当の特高警官自体へも、警察幹部が次のように訓示している。

「先づ日本人たることを忘れてはならぬ。職業としてではなく、陛下の臣民たる日本人として建国の本義に目覚める事が第一である。然る後此の悪むべき国体への反逆者を殲滅するのだと云ふ一大覚悟の下に起つべきである。」
  (大日方純夫『天皇制警察と民衆』195頁)

 先の日本共産党が主張する様に、特高警察自体にも、国体を守るために、国体に背く不穏思想などは行為以前に「徴候」が見えただけでも取り締まる事が自らの活動であると捉えていたであろう事が伺える。そうした意味で、特高警察が、国体の内実をどれほど理解していたかは疑問の残るところではあるが、幾分か意識して守ろうとしたものが国体であったことは否定できない。

 特高警察を指揮した元警視総監で、内務大臣まで上り詰めた安倍源基は、戦後、特高の働きについて次のように述べている。

「多数の警察官の中には行き過ぎをした者もあるであろうが、結局は治安維持法その他の取締法規を制定した政府や国会が、之を負うべきものではあるまいか。特高の取締は極右分子に対しても峻厳であつた。内乱予備其他の非合法行為を未然に防御した事件は枚挙に遑がないが、是も特高の犯した悪事であり人民の敵であつたのであろうか。」
  (小林五郎『特高警察秘録』2頁)

 特高の活動は政府などの指導により、治安維持法などの諸法規に基づいて行われたものであると主張しているが、筆者は本稿に於いては、当時の政府権力者の思惑と諸々の法規の“実行部隊”の代表として特高を捉え、そこに表れた意志を汲み取りたい。
 つまり、当時の時の権力の思惑の表れの一つの形として特高を定義し、彼らの本当に守ろうとしたものを照らし出す事によって、現代における各種の「特高論」に対して新たな視点を提するものである。

 特高警察が活動したのは、明治44年から昭和20年の大東亜戦争敗戦までの間、約34年間。その間に国家を左右する多くの重大事件にも対処してきた。

 往々にして特高は、日本の国体を守るために動いていたと言われるが、果たしてそうだったのだろうか。恐らく、現代の大半の日本人は国体と聞いても何の事か正しく認識できない。そもそも、現代は元より、特高が活動していた戦前の時代に於いてすら、世間一般が認知していた国体観念は曖昧であり、不明確に認識されることも多かった。ましてや、戦後、国体観念をGHQに一掃されてしまった現代の者が、「特高は国体を守るために活動していた」と言う事に如何程の説得力があるというのか。

 現在において、国体を守ろうとしたとされる特高の活動に対する評価の中には、国体と政体を混同した物が多く見受けられる。

「天皇裕仁の即位大礼の警備に特高警察は総動員され、要注意人物の発見、監視と予防検束に従事していく。守るべき国体とは、この天皇を中心とした政治体制なのであった。」
(大日方純夫『天皇制警察と民衆』192頁)

 これなどは、国体と政体を完全に同一視した顕著な例であるが、このように国体と政体を混同し、あたかも「国体=政体」であるとの見方が、特高に関する論文には多い。

 大正11年に、内務省警保局が、第45議会に提出し、廃案になった過激社会運動取締法案という、治安維持法の前身となった法案の第一案には「国体又ハ政体ヲ変革スル事項」「政体ヲ変壊シ国憲ヲ紊乱スル事項」という様に、字の上においては、国体と政体を分けて記している。

 筆者は、当時の明文化された諸法規と、社会情勢、国体の観念、そして実際の特高の行った活動などを検証して、国体と政体の相違を論証する。
 そして、創設から、大東亜戦争敗戦による解体まで、特高の34年間に亘る活動を俯瞰した時、彼らが本当に守ろうとしたものは、時の政体であったのではないか。その実証のために論を進めて行く。

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by shikisima594 | 2006-04-23 23:32 | 随想・雑記