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こちらでは会員が観賞した映画の感想録を集めています。
題名順 あ行 ■『硫黄島からの手紙』 ■『男たちの大和』 か行 ■『國士舘大學』 さ行 ■『スパイゾルゲ』 ■『昭和歌謡大全集』 た行 ■『大日本帝国』 な行 は行 ■『光の雨』 ま行 ■『ムルデカ』 や行 ら行 わ行 A ■『A2』 ■
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by shikisima594
| 2011-12-31 23:54
| 映画
![]() これは一体なんだ!?何が起きてたんだ!?と思った。小学生のとき、テレビで昔の出来事の特集をやっていたのを見たのだ。他ならぬ「あさま山荘事件」だ。この映像の衝撃は幼心に、深く残り、そのあと両親や学校の先生に「あさま山荘事件って何?」と訊ねた。 どうやらそれは、昔々存在した「学生運動」から生まれた「カクメイ」を目指す「サヨク」というものが起こした事件だという説明を受けたが、それでも全然わからない。第一その「カクメイ」というものが意味不明だったし、その「カクメイ」とは雪山の山荘に立て篭って銃撃戦をやることなのか、全く全体像が見えてこなかった。 しかし、「サヨク」という存在には急速に興味をひかれ、図書館で昔の本や雑誌を漁って調べてみた。ヘルメットにタオル覆面で、党派の旗をかかげ、腐敗した体制権力を突き崩そうと火炎瓶や投石する姿に胸躍るものを感じた。 そうするうちに、「あさま山荘事件」の全体像とそこに至る経緯もおおよそわかってきたのである。それはつまり、要約すると、共産主義に傾倒した学生運動の中から、山岳ゲリラ戦を唱える毛沢東主義を信奉した学生と青年らが「連合赤軍」をつくり、鉄砲店や郵便局などを襲撃して得た資金と武器を持って山にこもってそこで共同生活をはじめる。 そこから警察に追われて、何人かが昭和四十七年二月十九日に、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所である浅間山荘に逃げ込んで篭城した事件なのだ。この事件は当時の日本中の注目を集め、全国の人々はテレビ中継される山荘での攻防戦に釘付けになったという。 この『光の雨』は立松和平による同名の小説を映画化したもので、主に「あさま山荘事件」に至までの山岳ベース事件などを中心に、構成されている。この映画の最大の特色は「あさま山荘事件」の映画を撮影している監督と役者達の映画であるという点、すなわち劇中劇の手法を用いている。 この映画で連合赤軍を演じる役者達は「あさま山荘事件」の後に生まれた世代で、「あさま山荘事件」に対して、当初は理解も共感を一切することなく戸惑いながら演じて行く。その姿と、それを撮影する監督の態度を通じて、あの「あさま山荘事件」が何だったのかを問う映画である。 政治にも思想にも無関心で、イデオロギーなんて言葉すら知らない“現代の若者”である役者達の姿と、彼らが演じる、思想を奉じ、革命を信じた“当時の若者”のギャップを通してみると、その内実はどうあれ、あまりの違いに何かやり場のないような思いを自分は抱いてしまう。 連合赤軍は山岳ベースで12名、その前に2名。あわせて14名の“同志”を殺害している。結成時には30人にも満たなかった組織で半数近くの人間が短期間のうちに“同志”の手で殺されているのだ。 しかもその理由が、化粧をするのが資本主義的だから、男性が女性に対して下心を抱いたから、警察のスパイではないか、といった理由で次々に殺害して行くのだ。もはや理由が冗談のように見えるかもしれないが、これが孤立して、絶対的ドグマを掲げて、暴力によって先鋭化した組織の末路なのだと感じる。 自分たちの目指す革命のためには党のために徹頭徹尾尽さねばならないと考える。その結果、いったん内部粛清をやれば、党利党益を得る“忠誠競争”のようなものが発生し、自己保身のための“粛清スパイラル”に陥ってします。かつてのソ連、中共、そしていまの北朝鮮しかりである。まこと共産主義は人を惹き付けるが、それは最悪の毒リンゴである。 あの連合赤軍事件とは何だったのか、共産主義とは、新左翼とは、革命とは、党派とは、そういった遠い過去のような問題を独自の視点を介して見られる、稀有な映画である。 タカユキ 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-25 23:47
| 映画
![]() 自分は約二年前に遺骨収集で硫黄島に行ったことがある。だから冒頭の場面が遺骨収集から始まったのは、非常に感慨深いものがあった。あの海、あの空、あの砂と地下壕。まさに硫黄島だった。 硫黄島は一応、東京都だが、我々が日頃生活する都心からは南に千二百キロも離れている。ゆえに冬でも夏場のように暑く、一部の地下壕は地熱で天然サウナと化している。水も少なく、およそ人間の生存に適しているとは言い難い島だった。 さて、この映画はアメリカ人のクリント・イーストウッド監督の作品で、アメリカ人のつくる戦争映画といえば、自分の場合は「パール・ハーバー」や「ウィンドトーカーズ」などの侮日トンデモ映画の印象が強かったが、これは本当にいい映画だった。なぜこのような映画をアメリカ人がつくれて日本人がつくることができないのかと残念だった。 日本人が戦争を描けば、「ざわわ、ざわわ」でお馴染みのTBSが制作した「さとうきび畑の唄」を筆頭に紋切型の横暴な日本兵と、厭戦的な主人公を配して、当時の風潮を軍国主義の集団狂気としてしか描かない映画が目白押しだ。 さて、この映画は硫黄島戦を指揮し、アメリカ軍の肝を寒からしめた栗林忠道中将を「ラストサムライ」の渡辺謙が演じ、大東亜戦争下においても“サムライ”は確固として存在したのだと示してくれた。「だったら、『ラストサムライ』は“ラスト”じゃねぇじゃン」というツッコミはこの際いらない。 また、ジャニーズの二宮和也が当時の徴兵された一兵卒の西郷を演じていたが、彼は当時の日本人らしさを演技で表現しつつも、現代の若者らしさも漂わせていて、この映画を見る若者にとって時代感覚の架け橋的な役柄になったのではないかと思う。戦時下の日本人の感覚を理解できないという人は多いと思うが、そうした人も彼の演技を通して劇中の人物に感情移入し、彼らを少しは理解できるのではないだろうか。 二宮演じる西郷は冒頭、陣地構築の作業をしながら「こんなちっぽけな島なんかアメ公にくれてやりゃいいじゃねぇか」とぼやく。こうした考えは今の日本人にも共通しているかもしれないが、米軍にとって硫黄島は本土爆撃への重要な足場である。日本にしては、この島を一日でも長く守る事が、本土にいる同胞の安泰で平和な暮らしにつながっている。ゆえにこの島で敵を食い止める一日には意味があると栗林中将は言うのだ。 こうした栗林中将の姿勢を、劇中に登場する他の紋切型の日本軍人と相対化させるような描き方は、栗林中将が知米派であった点を強調するものであり、所詮はアメリカ人監督の映画と批判する向きもある。確かに、そうした傾向がないわけではないが、それは『ラストサムライ』にも見られるもので、制作者は我々の中に何らかの共通点を見出そうとする。 それは国際的な映画や文学を表現する者に共通する傾向であり、ことさら言い立てるものでもあるまい。むしろ、この映画の中で「バロン西」こと西竹一大佐がアメリカ側捕虜を手当するように命じるのと対照的に、アメリカ側では投降した日本兵捕虜を虐殺する場面が描かれており、従来のアメリカ戦争映画よりは公平な視点である。 そしてクライマックス、最期を悟った栗林中将は西郷に「ここは日本か?」と問う。西郷は力を込めて「日本です」と答え、栗林中将の最期を見届ける。ここが最も感動した。その瞬間まで硫黄島が日本であったのは彼らが必死で守ったからこそであり、彼らが守ろうとしたのも実に日本に他ならない。 雑誌『SPA!』最新号で漫画家の江川達也氏が、『硫黄島からの手紙』は国辱映画だと批判していた。その根拠の一部には同意するものもあるのは確かだ。アメリカ人がつくる作品に日本人としての完全を期すのは無理だろう。しかし、氏が冒頭の西郷の「こんな島…」という台詞をもって悪い映画と批判するのは木を見て森を見ない批判だ。むしろこうした冒頭の投げやりな台詞や態度が、クライマックスの伏線になっていることに気付いていない。 日本という共同体を命がけで守ろうとした先人がいた。それはどうやったって覆せない厳然たる事実だ。そのことを「硫黄島からの手紙」は現代の自分達に伝えてくれている。 タカユキ 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-01-13 20:26
| 映画
![]() 自分もそうだった。皇国史観研究会に入るまでは。この「ムルデカ」というのはインドネシア語で「独立」を意味する。インドネシア独立のために戦後もインドネシアに残って戦った日本兵とインドネシア人との交流が描かれている。 皇国史観研究会に入ってからというもの、十回以上は見た。最初は当時の会長に見せられて以来、会員の下宿にたむろして駄弁に興じていると「うーん、じゃあ『ムルデカ』見よっか」というノリになったし、車で遠出の旅行に出たときも、車にDVDプレーヤーを持ち込んでまでして皆で見た。 それまで国歌なんて「君が代」以外は歌えなかったが、何回も見ているうちにインドネシア国歌の「インドネシア・ラヤ」を口ずさむようにまでなった。歌詞も少しくらいなら覚えているし、劇中の台詞は皇国史観研究会の“流行語大賞”になった。 とにかくそれほど、感動深い映画だった。大東亜戦争勃発と共にインドネシアに上陸した日本軍は四百年の長きにわたってインドネシアを植民地支配していたオランダを蹴散らす。そして「青年道場」を開き、インドネシアの青年達に自分達の力で独立を勝ちとる事を教える。 時に衝突したりもしながら、やがて両者の間には深い信頼関係が芽生えて来る。途中には紋切型の横暴な日本兵も出て来るが、そちらの方が物語により一層厚みを加えられているような気がする。 ところが、大東亜戦争敗戦により再び、オランダ・イギリス連合軍がインドネシアを植民地にすべく侵攻して来る。それに対してインドネシア青年達と日本への帰国を捨て、アジア解放の大義を選んだ日本兵達が立ち向かう。インドネシアに残って独立のために戦った日本兵は二千人とも言われ、その約半数が戦死した。 映画の副題には「17805」と付いている。インドネシアでは、日、月、年の順番で表記するから、05年8月17日のことを指す。 しかし、インドネシア独立は西暦1945年のはずだ。では、この「05」とは何か? 実はこれ、日本の皇紀(神武天皇暦)のことなのだ。インドネシアは独立に際し、日本に敬意を表し、独立宣言文の日付を皇紀で書いているのだ。下の写真はインドネシア独立記念日の行事に出席した子供達の写真だ。 ![]() 『ムルデカ』を「アジア侵略を正当化する映画だ!」と批判する連中がいるが、そんな連中がいかに滑稽な集団であるかが、上の写真一枚でわかるというものだ。学校の授業で「はだしのゲン」を見せるばかりではなく、是非とも『ムルデカ』を日本の子供達に見せてほしいものだ。 応援のクリックをお願いします! ■
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by shikisima594
| 2006-09-12 23:08
| 映画
![]() いつの頃から、誰が言い出したのか知らないけれど、そんな言葉を耳にする。自分は昭和生まれで、いまの皇国史観研究会一年生達がギリギリ昭和生まれで、来年には平成生まれの世代が入って来るわけだ。年配の人はそれを聞くと「もう平成生まれが大学生になるのかぁ」と感慨深そうに言う。 明治、大正、昭和、平成。元号で時代を把握できるのは、日本人ならではの感覚だ。平成といえば、小渕さんが色紙に書かれた「平成」の二文字を記者会見でかかげているところが、平成の始まりというイメージがある。 この『昭和歌謡大全集』も、題名に「昭和」を冠した実に日本的な題名の映画だ。原作は村上龍で、少年グループとおばさんグループがちょっとしたトラブルから、懐かしの昭和歌謡にのって殺し合いを始めるという荒唐無稽なエンターテイメントで、だから『昭和歌謡大全集』なのだ。かなり好き嫌いが別れると思うが、グロいけど笑える構成になっている。 少年グループの一人を『御法度』でデビューした松田龍平が演じ、トカレフから原子爆弾までもあつかう広田金物店の店主を『凶気の桜』で任侠右翼会長役だった原田芳雄が演じている。こうした配役もおもしろい。 しかし、かなり気になった点が一つある。言うまでもなく昭和という時代は、昭和元年十二月二十五日から昭和六十四年一月七日までの六十二年と二週間ある。ところが、この『昭和歌謡大全集』に使用されている、往年の「昭和歌謡」を見てみよう。 (昭和22年)「星の流れに」 (昭和22年)「港が見える丘」 (昭和32年)「チャンチキおけさ」 (昭和32年)「錆びたナイフ」 (昭和41年)「骨まで愛して」 (昭和42年)「君といつまでも」 (昭和42年)「白い蝶のサンバ」 (昭和43年)「恋の季節」 (昭和46年)「また逢う日まで」 (昭和56年)「風立ちぬ」 (昭和58年)「SWEET MEMORIES」 (昭和62年)「リンダ リンダ」 一見してわかるように、昭和の三分の二の曲しか登場していない。昭和元年から二十一年までの曲が一曲も使用されていないのだ。「第二次大戦後に朝鮮、ベトナム、ドイツは空間的な分断国家になったが、日本は“戦前”と“戦後”という時間的な分断国家になった」という指摘があるが、その分断現象がこの映画には色濃く表れている。昭和十年代には「出征兵士を送る歌」や「麦と兵隊」が大当たりしている。まさしく押しも押されもせぬ“昭和歌謡”ではないか。 ところが、戦争の印象がついたものは全て切り捨ててしまうのを当然とする風潮があるから、『昭和歌謡大全集』はこんな構成になってしまったのだ。「戦後」という見えないカッコがついた昭和は明るい昭和で、戦前が冠せられた昭和は真っ暗の忌むべき時代という意識が多くの日本人の中にいまだにあるのだろう。いや、むしろそうした意識が強くなっているのではないか。なぜなら、昭和四十年代には、あのザ・ドリフターズが軍歌のカヴァー曲を出していたのだから。 「ドリフのズンドコ節」というのは元は軍歌だ。ズンドコ節というのは俗称で本当は「海軍小唄」といった。しかし、時代の流れは恐ろしいもので、歴史的分断国家となった我が国の、「戦前」と「戦後」の亀裂はますます深まり広がっているようだ。 それを防ぎ、日本人に戦前と戦後の歴史的連続性を取り戻させる意味で、是非とも『昭和歌謡大全集』に昭和元年から二十年までの歌を入れてリメイクしていただきたい。 応援のクリックを! ■
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by shikisima594
| 2006-08-27 23:31
| 映画
![]() 「北緯30度43分、東経128度4分へ行きたい」ーー高齢の漁師である神尾のもとに若い女性が頼んできた。その場所こそ、60年前に戦艦大和が沈んだ場所で、神尾はかつての戦友達を思い出しながら、その場所を目指す。 大東亜戦争末期。戦局は悪化の一途をたどり、日本はついに一億総特攻の先駆けとして大和を沖縄に出撃させる。その直前に乗組員達は最後の上陸をして肉親や友人たちと会って来る。そして、束の間の再会を終えて、大和に乗り沖縄に向かう。…… 彼らはこの時、自己の生命を賭けてでも守るべきものを見つめてくるのだ。涙なしには見られない。不覚にも私は泣いてしまった。そこには左翼が描く矮小化された犠牲者でも、遺書に崇高な文を綴った超然とした英雄もいない。ただただ等身大の、純粋な日本人の群像が描かれている。 沖縄に向かう大和に無数の米軍機が襲いかかる。戦闘シーンは激烈を極めるている。人間の体が飛び散り、甲板はたちまち血の海と化す。なんだか左翼チックかもしれないが、本当に戦争は嫌だとも思ってしまった。 しかし、それは当時の情勢では戦わなければならないものだったのは、言うまでもない。ただ、映画とはいえ、こうした戦争を戦ったであろう先人達の姿に想像力を働かせる事を忘れ、いたずらに彼らを褒め讃えるだけでは、少しまずいのではないか。 先の大東亜戦争に散って行かれた方々が英霊であり、それに対し我々が感謝の誠を捧げなければならないのは当然だ。だが、彼らの戦った戦場とその苦しみに少しだけでも思いを馳せて苦難を偲ぶ事も必要だと考えた。 何を今更そんなことを、そんなの当たり前じゃないかーーーと思われる方もいるだろう。そう、自分はいままで、こうした点に思いを馳せられなかったので、自省の意味も込めて書いている。彼らの苦しみとは、戦闘の苦しみだけではなく、自分が愛する人と生きたい、けれどもその人とそれを取り巻くこの国を守れるのは自分で、その自分は死ぬかもしれない。そういった葛藤の苦しみもある。 その苦しみを乗り越えて、大和に乗り込んで行った3300余名の男たちの物語りが、この『男たちの大和』だったように思う。 それから、この映画を見るときの注意点は軍事マニアと見ない事だ。皇国史観研究会には何人か軍事マニアがいる。こいつらは映画を見終わって、人が感動して余韻に浸っているのにも関わらず、「あの爆弾は爆発のしかたがおかしい」「何ミリ機銃がスゴかった」「戦闘の演出が下手だ」などと自分の知識でツッコミを入れてはしゃぐ。 私は軍事知識はほとんどないし、戦争映画も見ない。ただ、この映画は本当に感動出来た。そこから人間の思想や情念を読み取る事ができて、いろいろと自分で考えられる。それを横から人が興ざめする事ばかり言う軍事マニアはドロ舟に乗って北朝鮮にでも出撃せよ! 応援のクリックを! ■
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by shikisima594
| 2006-08-18 23:20
| 映画
![]() オウム真理教(アレフに改称)が、麻原彰晃の影響力を薄めようとする上祐派と、麻原彰晃を以前の様に崇拝する反上祐派に分裂したという報道があった。オウム真理教が松本サリン事件と地下鉄サリン事件という、我が国史上未曾有の無差別殺戮事件から十年以上が経過した。今だに事件の爪痕は多くの人に残され、オウム真理教への反発は極めて根強い。 四月の初め頃、テレビを見ていると、世田谷区の僕の下宿の近くにオウム真理教の本部があることを知った。興味本位で行ってみると、近くには「オウムは出て行け」「平穏な町を返せ」という横断幕や垂れ幕があちこちにあり、オウム真理教が入居するマンションの前には機動隊のバスが止まり、数人の警察官が退屈そうに監視を続けていた。 脇にある付近の住民が建てた監視小屋の中には誰もいなかった。マンションの横を通り過ぎて行く大学新入生の女の子達が、垂れ幕を見て、「平穏な町を返せだって」「えっ、何これ?」「わかんない」「高層マンションでも立のかな?」と会話をしていた。オウム真理教が入居しているそのマンションを取り巻く構造をながめ、僕は奇妙な言い知れぬ違和感を感じたのを覚えている。 さて、このA2という映画は、映画監督の森達也氏が、一連の事件から数年後のオウム真理教を取り巻く状況を、時に内から、時に外から撮影したドキュメントだ。大学に入って間もない頃に知人から紹介されて見た。 正直に言って、驚いた。僕がそれまで抱いていたオウム観が崩れたといっても過言ではない。とある教団施設ではオウム信者と、「殺人集団オウムは出て行け」と言っている住民達が和気あいあいと仲良くしている。初期の頃の立ち退き運動を両者で回顧して笑ったり、さながら田舎の寄り合いのようだ。 そして彼らオウム信者が立ち退く際には住民達に教団の本をあげたり、住民も「元気で頑張れよ」と声を掛けている。しかしそれをマスコミは報じようとしない。 上祐がいた横浜の施設での事だ。いわゆる右翼民族派の活動家が施設の前で「オウムと会って話をさせてくれ」と警備の警察官に頼んでいる。しかし、警察は警備を理由にこれを一切拒否。右翼の方が身体検査をしてもいいし、会談に警察官を同席させてもいいから会わせて話をさせてくれと言っても、警察官達は首を縦に振らない。所詮これが警察官というものだろう。 右翼の人は言う。「出て行けといって、仮に出て行ったとしても他の所でまた同じ問題になるだけで、根本的・本質的な問題の解決にはならない」と。 年が明け、横浜で右翼民族派の神奈川県維新協議会がオウムの解散を求めてデモを行う。戦闘服も着ず、罵声もあげず、淡々とオウムの解散を求めてのデモだ。なぜなら立ち退きを求めただけでは根本の解決にはならない。このデモの模様を撮影するために森監督も街宣車に乗るのだからスゴい。 しかし、翌日の新聞には「立ち退きを求めてデモ」と報じられる。とにかく、この映画はオウムを取り巻く現象に代表される現代日本の問題の構造と、人間とはどんなものかと考えるにあたって、非情に面白い視点を提供してくれる。 ![]() ■
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by shikisima594
| 2006-05-30 00:33
| 映画
![]() 「これが映画だ!ここに青春がある!これが戦争だ!ここに真実がある!」という言葉が予告編の中に入っているが、その言葉通り、大東亜戦争という我が国の歴史上未曾有の激動の時代を生きた人々の青春と真実を描いている。 構成としては、戦場の第一線で戦った将兵、銃後の妻たち、戦争を指導した人々の直面した事態と、葛藤、人柄を偏り無く描いている。「スパイゾルゲ」のように特定の主人公を定めない方針だが、映画としての出来が全く違っている。 こういう戦争映画は、とかく「自虐史観だ!」「戦争賛美だ!」と、どちらからかの批判にさらされるが、ほとんどどちらにも偏りが見られない。むろん、自分は戦争経験者ではないが、ありのままの歴史の真実を描くとはこういうことかと思ってしまう。浅薄単純な反戦厭戦の雰囲気は感じられなかった。それがよい。 当時の日本が直面した悲劇と葛藤、そして理想。それらが見事に描ききられている。こうした映画ではハルノートをはじめとするアメリカの対日圧力工作が意図的に描かれていないものが多いが、アメリカが日本を戦争に追い込んだ過程もある。 また、最前線の将兵といえば傲慢で横暴な紋切り型の日本兵が描かれる映画が圧倒的に多いが、この映画でもそうした日本兵は登場するが、そうではない誠実で立派な日本軍人も登場する。 特に、終盤の御前会議における天皇陛下の御聖断の場面は、日本人ならば涙無くして見ることが出来ないだろう。とにかく大東亜戦争を巡る様々な日本人の生き様の断片が偏向少なく一つの見事な物語として描かれいる。是非一度ご覧いただきたい。 ![]() ■
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by shikisima594
| 2006-04-19 12:10
| 映画
![]() 制作された当初は、その内容に、豪華キャストと莫大な制作費も相まって、大きな話題になっていたが、公開されたあとは、批判も賛辞もめっきり聞かなかった。 僕自身、大学の論文で当時の特高警察について書いた事もあったので、興味を持って見てみた。いわゆるゾルゲ事件とは、共産主義者のドイツ人リヒャルト・ゾルゲが、ソビエトから日本でのスパイ活動を命じられ、日本で元朝日新聞記者の尾崎秀実らとスパイ団を組織し、日本とドイツの最高機密情報を盗み出していた事件だ。 この、尾崎秀実に関しては、以前に紹介した『大東亜戦争とスターリンの謀略』で、その謀略に長けた明晰な頭脳と、あまりにも革命的な共産主義者として、共産主義社会実現のために妻子も同胞も捨て去る非情極まりない姿を知っていた。 この映画の監督は、「天孫降臨にはじまる日本の歴史を憎む」と公言している篠田正浩氏が務めた。篠田監督の思想性は置いといても、老監督をして「この映画を撮れたら、死んでもいい」と言い切る作品だ。だから少しばかり期待した。 しかし、というべきか、だから、というべきか、結論から言って期待は裏切られた。何とも冗長な映画だった。全編三時間ある。意識が朦朧としてくる。最初は昭和十六年のゾルゲと尾崎が逮捕されるところから始まり、昭和六年、ゾルゲと尾崎の上海での出会いにさかのぼり、昭和の様々な事件と、それに関わる大勢の人間にスポットを当てて映画は進んで行く。欲張り過ぎで、二兎追う者は一兎も得ずの観が強い。 それだけに、話の焦点がぼやけ、主人公が尾崎なのかゾルゲなのかも分からなくなってくる。尾崎の人物像の印象も、『大東亜戦争とスターリンの謀略』で受けた主体的で積極的な印象ではなく、ゾルゲに引こずられていった受動的な人間に見えてしまう。 また、ゾルゲの人物像はと言うと、ソビエトが制作したかのように美化されている。このゾルゲと尾崎の行動が、当時の日本をいかに害し、ソビエトをどれほど利したか、制作者がそうした歴史的事実を理解できないわけがあるまい。ソビエトの一方的日ソ中立条約破棄、シベリア抑留で、どれだけの日本人が殺されたことか。 映画の中でゾルゲは死刑に際して「国際共産主義万歳!」と言い残す。実に彼らが命をかけて尽くそうとしたのは共産主義の祖国ソビエトであった。しかし次の瞬間には、絞首刑にされるゾルゲと取り壊されるレーニン像、崩されるベルリンの壁が映る。これでは、見る者は、三時間かけて見て来た主人公達のやったことが無意味であるとの結論に至らざるを得ない。(事実そうなのだが) そして最後にジョンレノンの「イマジン」が流され、「この世に国家なんか存在しない」というメッセージで終了する。国際共産主義が実現すれば、「イマジン」のような世界ができるとでも? 篠田正浩監督は一体何がやりたかったのだろうか? 数十億とも言われる巨額の制作費と、映画界を代表する俳優達をかき集めて、左翼礼賛にも平和の主張にも、歴史映画にもならない物をつくってしまった。これが一人の監督が「死んでもいい」と言って作った映画には、到底思えなかった。 ![]() ■
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by shikisima594
| 2006-03-11 21:42
| 映画
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