![]() たしかに、あの瞬間においてこそ、行動者三島由紀夫の本質はまざまざと表現されているのであるが、同時代で三島由紀夫を知る人達はそれにとどまらない、多彩な三島由紀夫の肖像を見ていたはずだ。 まず、第一に三島由紀夫は作家であった。それも評論や報道を生業とする作家ではなく、文学者といった方が適しているかもしれない。脚本も書き、内外の雑誌や新聞から取材され、映画に自ら出演し、東大で全共闘と討論し、楯の会をつくり… そのあとは皆の知る所であるが、そのような多彩な顔を持った稀代の表現者であり行動者であった三島由紀夫の実像の一端が垣間みられるのが本書『花ざかりの森・憂国』(新潮社文庫)である。これは三島由紀夫に因る自選短編集であり、よく一人の作家が、これほどまでに多岐に渡る題材で筆を走らせたものだと驚いてしまった。 しかも、表題になっている「花ざかりの森」は、三島由紀夫十六歳の時の処女作であり、若くして恐るべき才能に満ちていたのだと実感する。到底、いまの十六歳に描ける文章ではない。自分は同じく表題になっている「憂国」が目当てで買ったのだ。 これは同名の映画(写真、本書の扉より)にもなったもので、三島由紀夫が自ら演じる軍人が切腹して果てる場面は大きな話題を呼んだ。三島由紀夫、市ヶ谷での自決に先立つ事十年前の作品である。 ここにおいて、十年後の壮絶な最期の壮大な伏線をひいていたのではないかと勘ぐってしまうが、三島由紀夫がこの時すでに武士的日本人の生き様の最期を切腹にみいだしていたと考えるのは早計ではなかろう。 この映画は後に三島由紀夫夫人が、その内容から、回収して焼却処分にしてしまい、幻の映画になってしまったとされる。それはさておき、この「憂国」は先に紹介した二・二六事件を基にしているのである。 二・二六事件勃発により、それまで親友であった将校達が反乱軍として蹶起し、主人公の中尉はこれを討たねばならなくなる。しかし、それはできない。さりとて、彼らと共に起ち、陛下の勅命に抗する事も出来ない。 そこで彼は逡巡の果てに、友への信義も、陛下への忠義も、いずれかを取る事は出来ず、自決を決意し、切腹し、彼の妻も粛々とそれに続く様を描いた小説である。短いながらも三島由紀夫らしさが凝縮された小説であり、人間の誠のあり方に対する三島由紀夫の一つの見解とも読める。 また、この『花ざかりの森・憂国』には「卵」という短編ギャグ小説も収録されている。多分、三島由紀夫を既存のイメージでしか認識していない人は、「あの三島由紀夫がこんなのを書いていたのか!」と思うぐらいの構成になっている。 毎日、卵ばかりを食べている学生たちが、擬人化した卵に取っ捕まって、卵たちから東京裁判のような裁判にかけられる話なのだが、三島由紀夫の耽美で繊細な文学の印象とは大きく懸け離れた作品だけにおもしろい。 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-28 22:43
| 読書録
前回、我々が歴史を想定する手法を説明したいといった。
前回は民族独自文化と普遍文化について踏み込んだが、もう一つ、重要な説明の必要が残されている。それは、歴史を想定する手法自体は、何の必要性を持つのかということである。今回は、その説明を終えなければならない。 我々は前回、このように考えた。普遍文化は、生存に必要な技術を中心としたもので、あらゆる民族が保持を予定されているから、その有無で民族の価値や意義が争われてはならない。一方、民族独自文化は生存に直接必要ないものを中心としており、それらの体系としての民族は平等で絶対的な価値がある。 今回の思想も、この結論から始めなければならない。 上記の要点を、もっと簡素にまとめることができる。それはほとんど次のようなことである。つまり、民族というものを見るとき、技術は必要で争われるが価値とはならず、文化は必要でなく争われないが価値となると説いている。この説明こそが、まさにこの思想の根幹なのである。この主張が説明されたからには、我々はまた、当初の目的を想起せねばならない。 一体、我々に迫られた必要というものとは、「〇二、民族の純粋性を求める意志のもとに、」という項で説明したとおりである。これを振り返ってみようではないか。我々はその思考から、かかる結論を導き出したのである。すなわち、我々は、文化の真の姿があるとして、その実態を探る。偽の文化、つまり異文化を包摂した事実を発見次第、その要素は排除する。そういうことであった。 ついで、「〇三、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、」という項では、真の文化とは、民族独自文化のことであるという規定をした。 そして、「〇四、技術が普遍的であることを認め、」では、我々にとって望ましいのは、高度で純粋な普遍文化を、民族独自文化を保ちつつ、受け入れる体制であるといった。 このように見ると、次第に、我々は進むべき方向が決められることになる。我々には以下のような歴史観が許されるのではなかろうか。そもそも我々は、民族を一貫する真の文化を求めてきた。歴史上起こされてきた多くの文化汚染は、後々の世にも、我々のように、それを嘆く声が出ることは予定されていた。しかれば、歴史の始めからそのような思想・価値観があればよかったと考える。そして、他者の強制にも会うことなくすごせて来れれば最もよかったのであって、民族に文化的汚染のある限り、どのような経緯を踏もうと、最終的に民族主義者がそのように考えるのは、当然である。 また、歴史上一度も他者からの強制がなかった、或いは自主的に文化汚染したということがなかった民族は、どのような歴史であっても、おそらくほとんどありえない。されば、このような思想はつまり予定されていたのであって、我々の見解では、この思想全体を普遍思想の一種であると捉えられる。文化国粋主義は、どのような歴史であろうと社会状況であろうとも、いずれ世界に登場したと、我々自身が捉えることができる。文化国粋思想は、一種の普遍文化である。 もし我々民族が、当初から民族の純粋性を守る志向であったと仮定し、しかもその考え方でうまく歴史してきたということになれば、いかがだろうか。果たして、それより民族主義を万全にあらしむる状況が他に考えうるだろうか。全ての民族が全ての民族に影響してきた歴史は、いつの日か、必ず文化国粋主義的に価値判断される秋が来るのだ。我々にそれが始まる。その主体が民族を相対的に捕らえる限り、全ての民族が志向するのは一つの方向でしかないのだ。 文化国粋主義は、歴史を反省する。民族が汚染された現実よりも、汚染されなかった歴史仮想のほうが価値があるとみなされる。そのように全く新しい思想が、現実に影響しようとする意志が生まれる。それが、場合によっては殆ど捏造であったとしても、我々は真実に幻滅させられるより、よほど良い世界観を手にしたと実感することになるだろう。 ムネカミ 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-27 23:59
![]() いわゆる「二・二六事件」である。昭和をいろどる国内事件の中でも、最大級のもので、内外に多大な反響をもたらした。そして今日においても、少なからぬ衝撃をとどめている事件ではないだろうか。今日は渋谷のNHK前にある「二・二六事件慰霊像」(写真)に参拝して来た。 昼過ぎに慰霊像前に行くと、周辺には私服姿の公安調査庁の調査官や公安警察官が、ひっそりとした慰霊像に不釣りあいなほど集まって、慰霊像の周辺を通り行く人に鋭い眼差しを向けていた。一種異様な物々しさがあったが、すでに慰霊像の前には花束が山と積まれ、線香の煙が幾重も立ち上り、お供え物は所狭しと置かれていた。 そして老若男女、様々な人々が次々と絶える事無く慰霊像前を訪れて、恭しく合掌していくのだった。慰霊像は本当に小さな敷地にあるのだが、それに見合わないぐらいの人々が次々と来るのだ。これには少し驚いてしまった。 しかし、ここにおいて、事件後70年を過ぎても、事件が日本人にどれほどの衝撃と影響を与えたかが伺い知れるだろう。当時の日本に暗雲のようにたれこめていた状況と、いまの日本を覆う先行きの無い不安は、程度の差こそあれ、年々似て来ているようにも思えるのだ。 二・二六事件の是非功罪はとかく論じられるところであるが、自分は是非のいずれの立場も取り得ない。「あれは義挙だから肯定すべき」という簡単なものでもないし、「民主主義を否定したテロだから許されない」など思考停止するつもりもないのだ。 当時の事件に参加した青年将校の多くが、窮乏する東北の農村出身であったという。国防の最前線に立ち、日夜厳しい職務にあるなかで、自分の家が貧しいあまり、姉や妹が身売りされていく。これは何という矛盾だろうか。そして、財閥は営利至上主義に走り、金儲けに汲々として庶民を省みずに、貧富の格差はますます拡大する。これは矛盾の拡大であったろう。 かえりみるに、明治天皇は「天下億兆一人モ其所ヲ得ザルトキハ皆朕ガ罪ナレバ…」と仰っておられる。この大御心を仰ぎ、決起したのだろう。決起趣意書劈頭にも次のようにある。 「謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる 天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。…」 だからこそ、尊皇を掲げて決起した。彼らの背後に国家社会主義者の北一輝がおり、その著書『日本改造法案大綱』が二・二六事件の思想的バックボーンになったとする指摘が今や主流であるが、当時の維新運動家だった中村武彦氏は自著『私の昭和史』で以下のように指摘している。 「実際のところ、法案を信奉して蹶起したという将校が何人ゐたか。ゐるとすればおそらく磯部だけと云っても過言ではないだろう。多くの人は嘗て法案を読み部分的に共感したにしても、全体としてはその社会民主主義の思想や天皇利用、軍隊利用の戦術に到底共鳴できず、離れて行ったに違いない。将校たちの背嚢に改造法案が入ってゐたという話など全く馬鹿げた作り話である。」 この指摘は鋭いと思う。事件発生後すぐに昭和天皇は、「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等、其精神に於ても何の恕すべきものありや。」と仰られ、断固とした鎮圧を命ぜられる。そして勅命がくだるにおよんで、決起部隊は投降し、あるいは自決したのである。 そして首謀者らは軍法会議により、処刑されることとなった。その時の場所にいまの「二・二六事件慰霊像」が建てられているのであるが、この時、背後関係を言われた北一輝、西田税と磯部は処刑にあたり、最期の「天皇陛下万歳」を拒否したが、それ以外の青年将校らは最期に聖寿万歳を叫び、粛として死についたのである。ここに二・二六事件の複雑さが端的にあらわれているのだろう。 国を憂い、天皇陛下を尊ぶ心、それ自体は現在にも通じるものであり、混迷を極める内外情勢の打開を、彼らが「昭和維新」に期したように、我々は手段は別としても、日本を糺すかたちを「平成維新」にもとめるのである。ただ、今日はそうした難しい話は抜きで、彼らと犠牲になった人々の御霊に手を合わせて来た次第である。 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-26 20:02
| 随想・雑記
![]() これは一体なんだ!?何が起きてたんだ!?と思った。小学生のとき、テレビで昔の出来事の特集をやっていたのを見たのだ。他ならぬ「あさま山荘事件」だ。この映像の衝撃は幼心に、深く残り、そのあと両親や学校の先生に「あさま山荘事件って何?」と訊ねた。 どうやらそれは、昔々存在した「学生運動」から生まれた「カクメイ」を目指す「サヨク」というものが起こした事件だという説明を受けたが、それでも全然わからない。第一その「カクメイ」というものが意味不明だったし、その「カクメイ」とは雪山の山荘に立て篭って銃撃戦をやることなのか、全く全体像が見えてこなかった。 しかし、「サヨク」という存在には急速に興味をひかれ、図書館で昔の本や雑誌を漁って調べてみた。ヘルメットにタオル覆面で、党派の旗をかかげ、腐敗した体制権力を突き崩そうと火炎瓶や投石する姿に胸躍るものを感じた。 そうするうちに、「あさま山荘事件」の全体像とそこに至る経緯もおおよそわかってきたのである。それはつまり、要約すると、共産主義に傾倒した学生運動の中から、山岳ゲリラ戦を唱える毛沢東主義を信奉した学生と青年らが「連合赤軍」をつくり、鉄砲店や郵便局などを襲撃して得た資金と武器を持って山にこもってそこで共同生活をはじめる。 そこから警察に追われて、何人かが昭和四十七年二月十九日に、長野県軽井沢町にある河合楽器の保養所である浅間山荘に逃げ込んで篭城した事件なのだ。この事件は当時の日本中の注目を集め、全国の人々はテレビ中継される山荘での攻防戦に釘付けになったという。 この『光の雨』は立松和平による同名の小説を映画化したもので、主に「あさま山荘事件」に至までの山岳ベース事件などを中心に、構成されている。この映画の最大の特色は「あさま山荘事件」の映画を撮影している監督と役者達の映画であるという点、すなわち劇中劇の手法を用いている。 この映画で連合赤軍を演じる役者達は「あさま山荘事件」の後に生まれた世代で、「あさま山荘事件」に対して、当初は理解も共感を一切することなく戸惑いながら演じて行く。その姿と、それを撮影する監督の態度を通じて、あの「あさま山荘事件」が何だったのかを問う映画である。 政治にも思想にも無関心で、イデオロギーなんて言葉すら知らない“現代の若者”である役者達の姿と、彼らが演じる、思想を奉じ、革命を信じた“当時の若者”のギャップを通してみると、その内実はどうあれ、あまりの違いに何かやり場のないような思いを自分は抱いてしまう。 連合赤軍は山岳ベースで12名、その前に2名。あわせて14名の“同志”を殺害している。結成時には30人にも満たなかった組織で半数近くの人間が短期間のうちに“同志”の手で殺されているのだ。 しかもその理由が、化粧をするのが資本主義的だから、男性が女性に対して下心を抱いたから、警察のスパイではないか、といった理由で次々に殺害して行くのだ。もはや理由が冗談のように見えるかもしれないが、これが孤立して、絶対的ドグマを掲げて、暴力によって先鋭化した組織の末路なのだと感じる。 自分たちの目指す革命のためには党のために徹頭徹尾尽さねばならないと考える。その結果、いったん内部粛清をやれば、党利党益を得る“忠誠競争”のようなものが発生し、自己保身のための“粛清スパイラル”に陥ってします。かつてのソ連、中共、そしていまの北朝鮮しかりである。まこと共産主義は人を惹き付けるが、それは最悪の毒リンゴである。 あの連合赤軍事件とは何だったのか、共産主義とは、新左翼とは、革命とは、党派とは、そういった遠い過去のような問題を独自の視点を介して見られる、稀有な映画である。 タカユキ 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-25 23:47
| 映画
今回は「カルト宗教と極左、その実態」というテーマで勉強会が行われ、実際にそうした集団に接したり見聞してきた古参会員から、発表がありました。まず、最近、本ブログでも取り上げている統一協会についての実態と概略を聞きました。
最近の学生は、そのほとんどがカルト宗教や極左に対する知識がなくなっており、実際に弊会の一年生の半数近くがカルト教団や極左団体の名称を知らないという結果がありました。十五年前、あるいは二十年前ならば、若者はそうした信仰や思想を知った上で、あえて無関心というシラケた態度を取っていましたが、いまの若者の多くが、そうした集団への抵抗感はあるものの、“免疫”とでもいうべき予備知識を失いつつあるのではないでしょうか。 確かに極左勢力は最盛期の半分以下に減退し、各大学の有力拠点も次々に喪失し、急速に大学から姿を消しつつあります。革労協は最大拠点であった明治大学から実質的に追い出され、早稲田大学も革マル派との決別姿勢のもと彼らを学内から追い出そうとしていますし、中核派はいま東北大学と法政大学において大学側と攻防戦を繰り広げています。 そうした事から、いまの学生が極左への知識を欠いても、勢力減退した彼らと学内で接する機会はめっきり減っているわけで、いわば“遭遇率”と“知識”が比例するように下がっているわけです。ところが、カルトはどうでしょうか。実はカルト教団は三十年前から減るどころか、むしろ増えているのです。 そして、カルトとの“遭遇率”と反比例するかのように、それに対する“知識”が下がっているのです。そうした状況もあってか、最近では大学でのカルト教団の問題が顕在化してまいりました。統一協会はもちろん、その分派とされる摂理、日蓮宗原理種集団ともいわれる顕正会などがそれです。 こうした集団は極左と同じで、自分たちの正体を隠して巧妙な勧誘をおこなってきます。特に統一協会の悪質な点は、人の不安につけこみ、その人の人間関係を全て断ち切らせて多額な献金をさせることですが、その根底には統一協会の「聖書」ともいうべき『原理講論』という本があります。そこには「韓国は光の国で、日本はサタンの国」というカルト的な“ウリナラ史観”がつづられており、日本人を騙して洗脳することを正当化しています。 また、極左は学園紛争の時代以来、大学の自治会や生協や大学寮を人員と資金の獲得拠点として、これを守るために敵対党派はもとより、他セクトと抗争を繰り広げたり、大学側に暴力を背景とした強要を行って来ました。特に自治会や生協は莫大な資金源であり、それを掌握することによって、予算配分権を行使して大学全サークルの生殺与奪権をほしいままにしてきました。 しかし、年とともメンバーの高齢化と減少もあり、大学側も自治会の非公認化などで排除に かかりました。いまでは極左が拠点としている都内の大学は、中核派が法政大学のみで、革マル派が早稲田大学、中央大学、國學院大学、学習院大学、和光大学、専修大学、お茶の水女子大学のみとなっています。 しかしそれでも彼らは生き残りをかけて、敵対者への陰湿な嫌がらせや、集団での示威行為による強要をつづけており、正体を伏せての勧誘もいまだ健在です。自分は大学に極左がいるのは別に結構だと思っていますが、思想が違うからといって陰湿な嫌がらせをしたり、正体を伏せての勧誘は悪質で改められるべきであると思っています。 主にそういった極左とカルトについての発表を聞いてから、質疑応答を行い、理解を深める事が出来ました。 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-24 20:13
| 活動報告
この連載は、愚考・文化国粋思想の説明をなす一部である。
これ以降考えていきたいことは、我々が歴史を想定する手法である。これにはまず、説明を施す必要がある。だが、これにも段階を要する。今回はまず、前回までの二つの文化に関して注釈をしたい。 民族独自文化と普遍文化については、既にお目に触れた次第である。そして、ここではこれらの概念についてことわらなければならない。 我が国の文化のうち、例えばある事象を取り出すとする。この際、私の考えでは、物品或いは事象それ自体が我が国にとって普遍であるか民族独自であるのかを問うものではない。更には、民族独自文化の純粋なものを形にして見出そうとすれば、ある部分に関してはそうとはいえまいが、その特例を除いてほとんど不可能と考えている。このような考え方自体、誤りであるといわなければならない。 では、どのように考えることが正しいといえるだろうか。私の考えはこうである。ある事物は基本的に、普遍文化的側面と、民族独自的文化の側面の両方を備えているのである。 我が民族の歴史上、文字は輸入されたのであるといわれる。この際、輸入された漢字と、その派生物である仮名文字について考えたい。両者とも、この普遍文化の側面では、ひとまず同一の項目にあるといってよい。ここには若干の含みを持たせておくが、これは今は取り上げない。文字というものは、つまり表記の手段で、この有無は情報の伝達や保存の能力に絶対的影響を与える。 そして、同時にその二つは民族独自文化の面で異なった所属関係にある。漢字はその字のとおり支那文字のことである。 一方、それとは全く異なった言語体系の下に組み込まれた仮名文字は、つまりやまとことば専属の表記体系として定着した文字である。 よく仮名文字は、漢字の草書から生まれたといわれるが、それはあくまで文字の歴史上の親子関係であって、派生して別個にある以上違う文字体系である。これは言語の相対主義的な立場であるが、異なった言語体系を表記していれば、全く同じ形の、そして全く同じ意味或いは発音の文字でも、違う文字とみなせる。 例えば、誰かが「ふく」と書いても、それが日本語の筆記体系とみなされる限り、もとは「不」と「久」の草書の連続であるこの文字列を、そうとはみなさない。したがってこれを、「フキュウ」とか「ヒサシカラズ」等とは全然読まない。この状態は、つまり仮名文字は、日本語に所属するということを示すのである。 民族独自文化とは、多くの場合そのように、普遍文化の核を覆う付属的な要素である。 ところで、順序が逆転したが、以下のことを心に留めて置かれたい。ここで、なぜ民族独自文化と普遍文化とは、かくも明確に区別されなければならないのかを説明いたしたい。 じつは普遍文化とは、あらゆる民族が、その保持を歴史上いつかに予定されている、文化的項目のこととみなせるからである。 回りくどい説明となるかもしれないが、私は、普遍文化とは、万人が何かを成しうるために、どうしても、しなければならないことであり、ほとんど技術ということであると説いている。例えば、生きていくのに食料と水がなければならないのは、民族間の違いなど存在せず、したがって人口をある程度恣意的に統制しようと思えば、農業や牧畜ということはどうしても必要なことである。 ここで重要なのは、この農業というものは、環境的な要因、或いは熾烈な民族間の闘争があったとき、この有無が決定的な優劣を生み出すことになるということである。 そして、我々はこのように考えなければならない。農業はやがて、世界に広まることが約束されているのである。 これは、例に挙げたのが農業であったというだけであって、この考え方は他の全ての普遍技術に当てはまると考えなければならない。なぜかといえば、普遍的なものを獲得したある民族が有力になったとすれば、その影響が近隣に及び、その範囲が徐々に拡大してゆき、しまいには世界中に浸透しきるのは時間の問題であるといえるからである。もしこれを受け入れない民族が出れば、彼らはいずれ淘汰される。つまり、存在の継続を期する限りにおいて、そのような技術の重大なる必要性は、万邦共通である。 ここまでは仮想的な分析であるが、ここから先は主張である。世界には、滅んでも良い民族など存在しない。とすれば、技術は全ての民族が取り入れなければならないことになる。だから、私の考えでは、後々取り入れるべき、存在効率をあげる要素たる文化があれば、なんとしてもこれを取り入れなければならないということになるのである。 普遍文化とは、そのような宿命を背負った文化的要素である。我々はもはや、普遍文化に属する全ての文化的項目について、その有無によって民族の優劣を論うことを悪しとしない。技術的に劣っている民族は劣っているのだ。したがって、全ての民族は、普遍文化の側面から見て同等の段階あるいは水準にある必要がある。技術は、絶対軸なのである。 しかし民族において、技術の優劣を論うとき、これを価値観とはしない。技術自体に価値はない。技術水準によって民族の価値や存在の意義が争われてはならない。技術を取り入れるのは必然であって、今持たざる民族は将来必ずこれをもたなければならないのである。それは予定されている。全ての民族にそれが等しいから、全ての民族は、技術的に同じ条件にたっている。 一方、独自文化とは、争えない文化のことといってよいだろう。民族的とみなされる美術的指向は、或いは伝説は、そして言語は、その体系自体に価値があり、この該当する範囲がそのまま民族独自文化であるとみなすべきなのである。 民族はそれぞれ、その独自な、文化の軸を持っていて、それらは絶対的な価値がある。そして、それらは各々のうちにおいて、平等であると見なさなければならないと考える。 ムネカミ 応援のクリックをお願いします ■
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by shikisima594
| 2007-02-23 23:59
![]() 最近では漫画から伝統文化までパクることで世界的に有名な韓国だが、この“竹島窃盗”はそれらの先駆けであった。その後、日本政府が毅然とした対応を取らないのをいいことに、韓国側は竹島に軍隊を駐留させ、ヘリポートなどを建設し、最近では観光客を入れたり、住民を移住させようとするなど、まさにやりたい放題。 さらには対馬までも自国固有の領土であると荒唐無稽な事を平然と言い始めた。もはや正気の沙汰とは思えない。その根拠が、かつて朝鮮の軍隊だか海賊だかが上陸したことがあるからだという。だったら竹島に限らず、朝鮮半島は日韓併合条約に基づく日本固有の領土であり、朝鮮人はただちに立ち退くか、日本国籍にならねばならない。 そのくらい無茶苦茶な事を韓国は平然として主張しているのであり、「気をつけよう、北も南も皆朝鮮」という“ことわざ”も生まれてくるのである。事なかれ主義日本政府は韓国の竹島不当占領に対して、これをあくまでも「領土紛争」ではなく「領土問題」であると、問題を矮小化しているのである。 そのような中で、竹島を管轄する島根県議会は平成十七年三月十六日に、「竹島の日」を制定した。条例の第一条では、「県民、市町村及び県が一体となって、竹島の領土権の早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題についての国民世論の啓発を図るため、竹島の日を定める。」としている。 しかしながら、竹島は我が国固有の領土であり、この文言は本来ならば「国民が一体となり…」と始まらなければならない。むろん、島根県議会の「竹島の日」制定は、弱腰政府に対し、確固とした姿勢を示したものであり、大いに支持するところである。 今の段階では、「竹島の日」はあくまでも、島根県の条例でしかないのであり、我々国民は、「竹島の日」を国会で決議させ、国民一丸となった領土奪還=国家主権回復運動を巻き起こしていかなければならない。 竹島は日本固有の領土である! 韓国は竹島から出て行け!という方はクリックを! ■
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by shikisima594
| 2007-02-22 22:16
| 随想・雑記
![]() 新大久保駅に降り立ったA君は、そこが一種異様な朝鮮人街であることに驚きつつも、約束の場で待っていてくれたBを見つけると安心して、Bについて行った。どこの国でもそうだが、同じ民族や国民は集まって住みたがる。 韓国から来日して日が浅いBが、そうした同胞が大勢いる朝鮮人街での待ち合わせを申し出るのも無理からぬことで、むしろここで祖国の食文化でも教えてくれるのだとA君は思った。しかし、Bが案内したのは見るからに怪しい雑居ビルに入るキリスト教を標榜する教会だった。 時間はまだ朝の十時だったので、昼食を食べるにはまだ時間があった。本当に食事に誘うならば、すでにこの待ち合わせ時間からしてオカシイと気付くべきであったが、時すでに遅し。教会の中にはすでに信者が何人も集まっていた。朝鮮人もいれば、日本人と思しき人もいる。 そして朝鮮語と日本語が入り乱れた祈りがはじまった。A君もBに従って一緒に祈る格好だけをした。Bがキリスト教なのは分かるし、それをとやかく言う気はない。しかしさすがに状況が変だ。祈りが終わるとBはA君を引き立てるように前に連れていき、皆の前で「彼は我々の新しい仲間だ!」と紹介しはじめたのだ。 Bと友達になったつもりではいたが、そこに居並ぶ見知らぬ多くの朝鮮人や正体の知れない日本人達と「仲間」になった覚えはない。ここでようやくA君はBに入信を目的に接近されていた事を確信し、大きなショックを受ける。その後も続くキリスト教の儀式に、日本という多神教的環境で育って来たA君は、目眩のするような嫌悪感と大きな不安を抱いた。 その後、別室で食事となり、韓国料理がいくつも振る舞われたが、もはや食べ物が喉を通るような気分ではなかったという。A君の近くに座っていた彼と同年代ぐらいの日本人の若者に話を聞くと、彼は都内で有名な中堅大学に通う学生でA君と酷似した経緯でここに誘われたのだと言う。 そう、BがA君と一番最初にあったときに、自分の代わりに授業のガイダンスを受けてくれと頼んできたのも、その後、食事に誘ったのも、全てA君を入信させるのが目的であったのだ。他の信者達も多くの大学に潜入し、似たような手口で学生を獲得してくるのだ。 他にも何人かA君と同じような、大学に入学したばかりの日本人大学生と思われる者の姿が見受けられたが、A君は全く予想だにしていなかった状況に息の詰まるような感覚を覚えながら、信者の話を聞かされて、ようやく帰途についた。 その後もBから勧誘と接触を試みられるが、A君は様々な理由をつけて避けた。しかし、ついに執拗な勧誘に耐えかねて大学の学生部に相談したのである。その後、Bの仲間達から常軌を逸したように執拗な電話を受けた。ある時など、教会で知り合った学生でもない年長の信者が学内を歩いており、A君は例えようもない恐怖すら感じたという。 その後、Bの仲間の韓国人信者はA君に対して「Bは神の意志を日本人に伝えてやるためにわざわざ日本に来て、大学に入って、おまえを誘ってやったんだ。それをおまえはぶち壊した。許せない」と食って掛かって来た。無茶苦茶な理屈である。 そして、かつてBがA君に語った日本への留学動機も全くの嘘だったことがわかる。Bは純粋に勉強するために日本に来て大学に入学したと言っていたが、本当はこの信者が言うように、布教活動という使命を帯びて大学に潜入したのである。 A君はそれに対して自分が入信する気のない事と、勧誘の意図を隠して自分を騙したB達の非を指摘し、彼らからの電話すべてを着信拒否にし、徹底して会わない事に決めた。その結果、学生部の対処とA君自信の毅然とした態度もあって、大学入学以来、三ヶ月近くにおよんだ彼らと関係を断つことができた。 いまA君は普通の大学生活を送っているが、その時の事を思い出すと背筋が寒くなるほどの恐ろしさを感じるという。彼の話を聞く限り、Bらは統一協会から分派した「摂理」教団の可能性もあり、明確にどちらかは特定できなかったが、いずれにせよ韓国発祥の朝鮮カルトに他ならない。 朝鮮カルトが日本のカルトよりも悪質なのは正体を隠して接近し、日本人の優しさや不安につけこんで執拗にして悪質な勧誘を行い、結果としてマインドコントロールを施して献金と布教の尖兵にしたてあげることである。A君のような人の優しさにつけこんで、騙す手口は卑劣としか言いようがなく、決して許す事はできない。 また、彼の話を聞く限りではこうした朝鮮カルトは各大学で、同様に正体を隠して活発な勧誘活動を続けているようだった。カルト教団と長年にわたり対峙して来た大学職員の人から話を聞くと、過去にはこうした朝鮮系カルト教団から脱会を試みて不審死した者もいるというのだから恐ろしい話だ。 日本の大学は明日の日本を担う青年の学び舎である。そこが朝鮮カルトの餌場にされてたまるものか。朝鮮カルトを日本から叩き出そう! 朝鮮カルトは日本から出て行け!という方はクリックを! ■
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by shikisima594
| 2007-02-21 18:36
| 随想・雑記
![]() 月刊『THEMIS』に紹介されました 会員制月刊情報誌『THEMIS』で皇国史観研究会が紹介されました。記事は「杉田日本経済新聞社長の『情実人事』に社員の怒り爆発」という巻頭の特集記事で、以下のように紹介していただきました。 「最近、国士舘大学を中心とした大学生らが『皇国史観研究会』を結成した。彼らは杉田氏の売国奴的媚中外交に我慢ならず、ホームページ『日経の闇をつく』を立ち上げた。その中で横浜国大広報誌のインタビューを取り上げ、『杉田社長のルーツは共産主義シンパに近い』と断罪している。」 他にも記事中にて、去年の七月二十日の「富田メモ」報道から追及して来た「日経の闇を突く!」についてご紹介をいただきながらも、あの「富田メモ」報道の背後に蠢いていた日経の杉田亮毅社長の実態を社員の証言と共に暴いています。恣意的な人事、異様なまでの媚中態度、無責任で不透明な経営など、やはり杉田社長は思いのほかヒドい社長のようです。 蛇足ですが、記事中に「最近、国士舘大学を中心とした大学生らが『皇国史観研究会』を結成した。」とありますが、皇国史観研究会は正確には、今から二十四年前の昭和五十八年四月一日に国士舘大学の学生と教職員らが結成したものです。 『THEMIS』は会員制情報誌ですので、自分も知人から言われるまで知りませんでしたが、お申し込むことや、大きな図書館などでご覧いただけますので、機会がある方は是非ともご一読ください。 ______________________________________ 第48回靖国神社清掃奉仕のお知らせ 日時:2月25日(日)午前8時45分に参集所前集合 作業は9時から12時まで、昇殿参拝後ご奉仕します。 参加費:成人1500円、家族同伴者・大学生1000円、高校生無料(写真代含む) 雨天でも昇殿参拝は行います。服装は動きやすい普段着です。軍手は各自で持参してください。ほうきで境内を掃きます。 参加申し込みは靖国神社清掃奉仕有志の会まで、お願いします。 ______________________________________ 硫黄島へ遺骨収集に ![]() 皇国史観研究会有志が今月下旬より三月まで、あの硫黄島に遺骨収集に参加してきます。皇国史観研究会では、二年前に同様に硫黄島、四年前にはミャンマー(旧ビルマ)へ有志会員が遺骨収集に行き、少なからぬ戦没者の御遺骨を日本本土へお連れしてまいりました。 硫黄島の激戦は『硫黄島からの手紙』などで多くの日本人の知るところとなりましたが、いまだに多くの御遺骨が島内に眠っております。今回も、祖国を守るために戦われた方々の御遺骨を一柱でも多く内地にお連れしたいと思います。 遺骨収集のご報告は、参加会員の帰還次第、みなさまにこちらでお伝えしたいと思いますので、どうかご期待ください。 応援のクリックをお願いします! ■
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by shikisima594
| 2007-02-20 19:00
| 告知
![]() 今回はそうしたA君の体験に基づいて連中の手口を広く世に伝え、連中の卑劣さと危険性を問い、多くの方々にその実態を知って頂きたいと思う。(写真は昭和40年代の統一協会による合同結婚式の模様。左右で冠をかぶっているのが教祖の文鮮明夫妻) 彼がその教団と関わりを持ってしまったのは、ほんの些細な事だった。新しい生活に胸躍る四月の事であった。授業の履修ガイダンスを受けている際に、一人の男(以下B)が話しかけて来た。年の頃は二十七、八歳くらいで、A君より十歳以上年上である。Bは韓国人だった。Bには独特の訛があるものの、流暢な日本語であった。 「すみませんが、どうしても用事があってこのガイダンスを最後まで受けられないから、資料を自分の分も貰って、あとでガイダンスの事について教えてくれませんか」というのだ。A君は、来日して馴れない中で大変であろうBのために、親切心から彼の連絡先を聞いた上でガイダンスの内容を伝える事を快諾した。 後日、Bと連絡をとり、ガイダンスの内容を伝えるとBは喜び、「お礼に食事をおごりたい」と申し出て来た。A君は「そんな気を遣われなくても…」と思いつつも、大学入学でせっかくの友人ができる機会だと思い、Bと食事することにした。 聞けばBは韓国で兵役に服した後、日本で勉強しようと一念発起して来日してきたというのだ。日本の事は分からないことも、多く大変だから今後も助けてほしいというような事をA君に言った。韓国といえば近年は反日的機運が高まっていることばかりが伝えられているが、こうして真摯に日本を学ぼうとする留学生Bの姿勢にA君は若干の感動を受け、少しでも力になってあげようと思ってしまった。 しかし、この時、A君はBの奇妙な行動を目にする。食事の前に両手を組んで韓国語で何事か祈りを捧げるのだった。ただ、A君はそのことについて、信仰はそれぞれあるだろうし、ましてや外国から来たのだからと軽くカルチャーショックを受けつつも気にしない事にした。 その後、何度かA君は、いつものようにBから誘われて、彼と食事する機会があった。その場では、彼の生い立ちや韓国にいたときの話や最近の事など、他愛も無い雑談を続けていたのだが、ある日のこと、Bが「こんど、外でご飯でもどうですか?」と誘って来たのだ。 その日、A君は特に予定も入っていなかったので、その誘いを受けた。待ち合わせ場所は山手線沿線の新大久保駅。新宿の一角に広がる朝鮮人街である。そうとも知らずに、この誘いに乗った事が、A君の大学生活の歯車を狂わせる事になる。(つづく) 朝鮮カルトは日本から出て行け!という方はクリックを! ■
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by shikisima594
| 2007-02-19 20:44
| 随想・雑記
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